虐待は、子どもも大人も苦しい。
一般財団法人 児童虐待防止機構 理事長の島田妙子さんの講演会に行ってきました。
<虐待は、子どもも大人も苦しいねん!>
とても共感ができるお話でした。
講師である島田さん自身、継母と実父による壮絶な虐待を受け何度も命を落としかけ、今生き残って奇跡的にここに来ていると思ってらっしゃると仰っていました。
アスペルガー症候群の長男を含む3人の子を育てているというところも、共感できた部分でした。
私自身、多動と言われ通院していた長男と広汎性発達障害の次男、長女の3人の子どもを育てています。
心の余裕がなくなった時は、子どもにキツく当たってしまうこともあります。
「そんなつもりはなかったのに」
気持ちのコントロールが自分の力ではできなくなることが、虐待の恐ろしさだと思う。
私はその前に相談することが出来たから、支えてくれる人がいたからこそ今の生活があると思っている。
今も色んな人に支えられながら、かろうじて子育てができている。
明日は我が身、常にそれは心構えとしてあって、意識して1人の時間を作ったり信頼できる家族や友達に吐き出して(時には当たらせてもらったり)溜め込まないようにしながら毎日を過ごしている。
客観的に自分を見返して、あぁ、私は今余裕がなくなってるんだな、少しペースダウンして休もう、とだいぶ自分でコントロールできるようになった。
それが島田さんの言う、アンガーマネジメントに通じているなと思った。
まわりに相談や助けを求められない人はどうなるか?
相談するって、簡単そうで実はとても勇気がいることなんですよね。
自分の弱さを相手に開示するということだから。
長女で、母親を早くに亡くし甘えることができない環境で育った私にとっても、「人に頼る自分」を素直に許せるようになるまで、長い時間が必要だった。
今でもこれは私の中の大きな課題だと感じています。
ニュースになるような虐待を起こしてしまう人達は、その結果なんじゃないかと私は思う。
きっと、その人も子ども時代に何らかの虐待を受けていて、大人になってかも心は傷ついていて(もちろん本人は気付いていなくても)、その親自身も苦しんでいたんじゃないかと思う。
最後の質問で、「虐待をなくしたいけど何から始めたらいいか」というものがあった。
島田さんは、「虐待は子どもも大人も苦しいねん!」この事を広報することから始めていくことを挙げられていました。
「虐待をする大人を助けたい」という思い。
初めはあちこちから批判が来たそう。
でも今はこの考えも浸透し始めてきたと。
私自身も自分の子育ての経験からこの考えにはとても共感するし、苦しんでいる子どもを助けたい、同じように苦しんでいるお母さんの支えに少しでもなりたい、保護者の子育て支援がしたいと思って第一歩として保育士の資格を取得した。
虐待してしまうほど追いつめられている母親への理解や支援はまだまだ手薄だと感じる。
「虐待する大人が悪い」
虐待する大人を助けるなんて、無計画に子どもが子どもを産むからだ、という考えの人もまだまだたくさんいるだろう。
私が子どもの頃はあちこちで子どもが遊んでいた。
子どもの泣き声なんかあちこちで聞こえていたけど、今は泣いている状態が続くと虐待と間違えられ警察や児相に通報されてしまう。
実際に私も通報され警察と児相の職員さんが家に来たことがある。
島田さんは、それが原因で起こる虐待もあると仰った。
泣かせないようにしなきゃ、まわりに迷惑をかけないようにきちんと躾しなきゃ、なぜこんな事をするの?泣かないで、言うことを聞いて!
私もこうやって追いつめられた。
誰にも迷惑をかけなくて済むところに引っ越そうか、この子を殺して私も死のう、何度考えただろう。
今は、子育てがしにくい時代だと感じる。
世間の目が厳しすぎる。
子どもは泣くのが仕事なのに、泣くと「母親なら早く泣き止ませろ」とでも言わんばかりの白い目で見てくる人もいる。
遊ぶのが仕事なのに、子どもは遊びの中で学んでいくものなのに、遊ばせる場所が極端に少ない。
子育てをする中で、誰でも一度は経験したことがあるんじゃないかと思う。
近所の騒音対策、公園での遊ばせ方、子ども同士のトラブル、電車内でのベビーカーのマナーがどうだ、今ちょうど話題になっている保育所の待機児童問題、子育て中の母親に降りかかる問題は挙げていけばキリがない。
ネットを少し見ても、「非常識な母親」の批判はたくさん出てくる。
中には本当に非常識な人もいるのかも知れないが、「非常識な人」は母親に限らずどこにでもどの世代にもいる。
子どものことは全て母親の責任になってくる。
無責任なんじゃなく、その責任を強く感じているからこそ、だと思う。
家事育児の無休で無給の仕事は、「やって当たり前」とされることが多い。
「母性」という言葉に表される通り、日本は母親に対し過度な理想を持ちすぎではないかと思う。
なんとも曖昧な表現だと思うし、「父性」という言葉はあまり聞かないのにね。
365日24時間、母親は常に思い通りには動かない子どもと向き合って、まわりの目を気にしながら子育てを奮闘しているのだ。
悩んでいる人を批判して何か良い方向に変わるだろうか?
改心して、子どもに手をあげずに優しく接することができるのか?
実際は批判されることで余計にまわりに頼れなくなり追いつめられ、それが子どもにいってしまうだけ。
批判するだけじゃ、何の解決にもならない。
余裕をなくしてるお母さんを見かけたら、
「お母さん、大変だね」
その一言だけで十分なんです。
1人でも理解してくれる人がいれば、思いとどまることもできる。
引き返すこともできる。
実体験として思ったことを書かせていただけば、まわりの人達が、もう少し子育て中のお母さん達を優しく見守ってあげることができれば、起こらなくていい虐待を少しは防ぐことができるんじゃないかと思う。
そんな社会になることが、私の願いです。